会社員とフリーランスで違う「仕事」
一人で働いていると、仕事と私事の境目が曖昧になる。
もともとその区分けはとても下手だったので、
毎日記録をとる、と決めたら、少し気が楽になった。
記録をとる中で、判断の精度を高めていこう。
言語化して可視化しないと検証できないこと、
頭の中で言葉が溢れて眠れなくなってしまうことが、多々ある。
最近は、会社員とフリーランスで違う「仕事」について、考えていた。
こんな具合に。
会社員だったころは私自身の時間も労力も月額定額使い放題だったけれど、今は違うなぁということを痛感している。会社としてはそっちのほうが使い勝手がいいことも重々承知しているので、それでも外部ブレーンとしてお願いしたい、と仕事を依頼されるようになりたいところ。
— Tomoko Amaike (@tomoko_amaike) 2014, 4月 4
「仕事」とは、誰かが何かを求めて対価を払う、
その対価に対して商品やサービスを提供する。
この、価値の交換について、
会社員だった頃の私は、理解できていなかった。
私が考えていたのは、こうだった。
世の中の解決するべき事象に対して、取り組んだ結果、
報酬がもらえる、そしてその報酬は、金銭だけではない。
そう考えていたのは、私自身の仕事の特性上もあったのだろう。
就活生向けの新しい就活サービス/企業向けの新しい採用サービス。
サービスの企画・広報・運用に広く携わっていた。
日本の新卒採用に関する問題提起は、世の中の関心が高く、
日々、新聞やWeb上での話題が尽きない。
働き方も、価値観も、メディアも、人口構成も変化しているのに、
高度経済成長時代を引きずった新卒一括採用の仕組みは、
歪みが出てきている、そう感じている人が多いのだろう。
私自身は、こう考えていた。
大学教育の仕組み、日本の雇用の慣習、総合して考えると、
新卒採用という精度は優れた面も多々ある。
ただ、現状のままでは、歪みにより苦しんでいる人が存在する。
新卒採用という仕組みを、苦しむ人が少なく、
活用できる方法はないだろうか。
私の仕事は、業界の一端にいる人間として、
ひとつの解決策となりうる新卒サービスの運営に携わる仕事だった。
新しい切り口の採用・就活手法を世の中に提示する仕事は、
社会的にも意義のあることで、社内外からも反応があり、
とてもやりがいのある仕事だった。
そこが、私の個人的な、落とし穴だった。
私は、自身をいち個体として認識して維持する習性が、
いわゆる「自分を大切にする」という生きるために必要な姿勢が、
身についていなかった。そして、自覚もしていた。*1
にもかかわらず、目の前に現れた仕事が、
「社会」という大きな枠の問題を解決するものとして、
仕事の枠を超えて夢中になり、自己を投げ入れてしまったのだった。
BtoBでなく、BtoCのWebサービスとしての機能が強かったため、
ユーザーの生活時間に合わせ企画をし、ユーザーがいる場に顔を出した。
必然的に、平日の日中だけでなく、平日の夜、土日にも仕事のことを考えていた。
社会的に解決すべき問題だと認識していたため、仕事、としてとらえず、
ライフワークやボランティアとして、私の中の比重はどんどん傾倒していった。
問題認識の近しい社内外の多くの場や人々に出会い、
学び、豊かで刺激的な毎日が続いていた。
けれど、私自身を見失い、働き、心身を壊す結果につながった。
「仕事」とは、誰かが何かを求めて対価を払う、
その対価に対して商品やサービスを提供する。
社会的に意義のある仕事であっても、それは変わらない。
会社のサービス運営担当者として、
毎月のお給料をいただく中での「仕事」をしていれば、
心身を壊すことはなかったのだろうと、思う。
その枠を越えたところにある社会を、見てみたくなった。
個人的な私の欲張りを、自身でコントロール出来なかったのは、
会社員である身に甘えていたからだ。
「仕事」でもあるのだから、ストップがどこかでかかるだろう。
そう考え始めていた頃には、もうすでにただの「仕事」ではなくなっていた。
止められるのは私自身しかいなかったのに、気がついていなかった。
本格的に体調を崩したことがきっかけで、気がついた頃には、
心身ともに限界値がきていた。
会社からお休みをいただき、休職のち、退職。
フリーランスという働き方に落ち着いたのは、
私自身はじめた驚いたものの、
会社の「仕事」の枠を超えて、個で動いていたのだから、
さほど変わりない事に気づいた。
今度は、私自身が生きていくための「仕事」を見つけ、
社会と関わり対価を得る必要がある。
個人は社会の中で生きている。切り離して考えることは出来ない。
けれど、社会は個人のためにあるわけではない。
社会の問題解決に力を注いでも、個人として幸せになれる訳ではない。
今までは、会社が社会の中から「仕事」として切り出してきた一部を、
会社員として「仕事」をする中で、「給料」という報酬を受けていた。
その先を欲張ってしまった私にとっては、心身を壊してしまったのも、
フリーランスという働き方に落ち着いたのも、当然の結果だろう。
最近もうひとつ、決めて楽になったことがある。
土日や休日に無理に休まない。仕事は毎日少しずつ重ねていく。
平日にたくさん働き、休日にゆっくりと過ごすことは、
自分を見失いがちな私にとっては、とても難しいことだ。
毎日自分でつくった料理を食べ、毎日文章を書き続ける生活が、
いちばん気持ちが落ち着くことが、わかってきた。*2
世間一般的な趣味や、会社員としての生活は、
向いていなかったのかもしれない。
それでも、私のできることで社会の問題解決につながるなら、
「仕事」として稼ぎ自立した生活が送れるようになる。
まだしっかり自分の足で立っているとも言えず、情けないけれども、
ようやくフリーランスとしての心構えが整ってきた。
日々淡々と三食を食べ生きているように、
日々粛々と文章を書いて生きていきたい。