まいにちの仕事を記録する

日々淡々と三食を食べ生きているように、日々粛々と文章を書いて生きていきたい。

会社員とフリーランスで違う「仕事」

一人で働いていると、仕事と私事の境目が曖昧になる。

もともとその区分けはとても下手だったので、

毎日記録をとる、と決めたら、少し気が楽になった。

記録をとる中で、判断の精度を高めていこう。

 

言語化して可視化しないと検証できないこと、

頭の中で言葉が溢れて眠れなくなってしまうことが、多々ある。

 

最近は、会社員とフリーランスで違う「仕事」について、考えていた。

こんな具合に。

 

 

「仕事」とは、誰かが何かを求めて対価を払う、

その対価に対して商品やサービスを提供する。

 

この、価値の交換について、

会社員だった頃の私は、理解できていなかった。

私が考えていたのは、こうだった。

 

世の中の解決するべき事象に対して、取り組んだ結果、

報酬がもらえる、そしてその報酬は、金銭だけではない。

 

そう考えていたのは、私自身の仕事の特性上もあったのだろう。

就活生向けの新しい就活サービス/企業向けの新しい採用サービス。

サービスの企画・広報・運用に広く携わっていた。

 

日本の新卒採用に関する問題提起は、世の中の関心が高く、

日々、新聞やWeb上での話題が尽きない。

働き方も、価値観も、メディアも、人口構成も変化しているのに、

高度経済成長時代を引きずった新卒一括採用の仕組みは、

歪みが出てきている、そう感じている人が多いのだろう。

 

私自身は、こう考えていた。

大学教育の仕組み、日本の雇用の慣習、総合して考えると、

新卒採用という精度は優れた面も多々ある。

ただ、現状のままでは、歪みにより苦しんでいる人が存在する。

新卒採用という仕組みを、苦しむ人が少なく、

活用できる方法はないだろうか。

 

私の仕事は、業界の一端にいる人間として、

ひとつの解決策となりうる新卒サービスの運営に携わる仕事だった。

新しい切り口の採用・就活手法を世の中に提示する仕事は、

社会的にも意義のあることで、社内外からも反応があり、

とてもやりがいのある仕事だった。

 

そこが、私の個人的な、落とし穴だった。

私は、自身をいち個体として認識して維持する習性が、

いわゆる「自分を大切にする」という生きるために必要な姿勢が、

身についていなかった。そして、自覚もしていた。*1

 

にもかかわらず、目の前に現れた仕事が、

「社会」という大きな枠の問題を解決するものとして、

仕事の枠を超えて夢中になり、自己を投げ入れてしまったのだった。

 

BtoBでなく、BtoCのWebサービスとしての機能が強かったため、

ユーザーの生活時間に合わせ企画をし、ユーザーがいる場に顔を出した。

必然的に、平日の日中だけでなく、平日の夜、土日にも仕事のことを考えていた。

 

社会的に解決すべき問題だと認識していたため、仕事、としてとらえず、

ライフワークやボランティアとして、私の中の比重はどんどん傾倒していった。

問題認識の近しい社内外の多くの場や人々に出会い、

学び、豊かで刺激的な毎日が続いていた。

 

けれど、私自身を見失い、働き、心身を壊す結果につながった。

 

 

 「仕事」とは、誰かが何かを求めて対価を払う、

その対価に対して商品やサービスを提供する。

社会的に意義のある仕事であっても、それは変わらない。

 

会社のサービス運営担当者として、

毎月のお給料をいただく中での「仕事」をしていれば、

心身を壊すことはなかったのだろうと、思う。

 

その枠を越えたところにある社会を、見てみたくなった。

個人的な私の欲張りを、自身でコントロール出来なかったのは、

会社員である身に甘えていたからだ。

 

「仕事」でもあるのだから、ストップがどこかでかかるだろう。

そう考え始めていた頃には、もうすでにただの「仕事」ではなくなっていた。

止められるのは私自身しかいなかったのに、気がついていなかった。

 

本格的に体調を崩したことがきっかけで、気がついた頃には、

心身ともに限界値がきていた。

会社からお休みをいただき、休職のち、退職。

 

フリーランスという働き方に落ち着いたのは、

私自身はじめた驚いたものの、

会社の「仕事」の枠を超えて、個で動いていたのだから、

さほど変わりない事に気づいた。

 今度は、私自身が生きていくための「仕事」を見つけ、

社会と関わり対価を得る必要がある。

 

個人は社会の中で生きている。切り離して考えることは出来ない。

けれど、社会は個人のためにあるわけではない。

社会の問題解決に力を注いでも、個人として幸せになれる訳ではない。

 

今までは、会社が社会の中から「仕事」として切り出してきた一部を、

会社員として「仕事」をする中で、「給料」という報酬を受けていた。

その先を欲張ってしまった私にとっては、心身を壊してしまったのも、

フリーランスという働き方に落ち着いたのも、当然の結果だろう。

 

最近もうひとつ、決めて楽になったことがある。

土日や休日に無理に休まない。仕事は毎日少しずつ重ねていく。

 

平日にたくさん働き、休日にゆっくりと過ごすことは、

自分を見失いがちな私にとっては、とても難しいことだ。

 

毎日自分でつくった料理を食べ、毎日文章を書き続ける生活が、

いちばん気持ちが落ち着くことが、わかってきた。*2

 

世間一般的な趣味や、会社員としての生活は、

向いていなかったのかもしれない。

 

それでも、私のできることで社会の問題解決につながるなら、

「仕事」として稼ぎ自立した生活が送れるようになる。

 

まだしっかり自分の足で立っているとも言えず、情けないけれども、

ようやくフリーランスとしての心構えが整ってきた。

 

日々淡々と三食を食べ生きているように、

日々粛々と文章を書いて生きていきたい。

 

 

 

*1:中学生頃から心理学の本を読み漁った結果、私はヒーロータイプのACと分類される環境・性格に最も近しく、将来的に鬱になる危険性が高いことを自己認識していた。

そして、そんな家庭環境や性格はよくある話で、家を出て自立したら何とかなるものだと思っていたけれど、まぁ根本の自己が確立できていないまま溝にハマってしまい、心身壊してしまった次第。

*2:人は誰しもが何かしらに依存する生き物だから、それがたまたま仕事と直結してワーカホリックと称されるだけで、ゲームやギャンバルにハマるのと心理的には大差ないと考えている。